こんにちは!スミーです!!
皆さん「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」というキャラクターをご存じですか?
実はこのキャラクターディズニー・カンパニーより描かれたキャラクターなのです!
今回はそんな「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」の描かれてから現在に至る、今までの壮絶な生い立ちを話していきます。
オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットとは?
オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットは黒と白のモノクロの色合いでミッキーにそっくりなウサギのキャラクター。
性格は明るく、怒りんぼうなキャラクター。
日本では「幸せウサギのオズワルド」と言われています。
このキャラクター実はミッキー・マウスより先に生まれており、オズワルドが居なければミッキーがこの世に生まれることはなかったのです!
ミッキー誕生!制作秘話はこちらの記事よりお読みください↓↓↓
オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットの歴史
オズワルドは1927年9月5日に公開された「トロリー・トラブルズ」という短編作品に初登場しました。
そこから短編アニメも多く作られ、デビュー当時は大人気になっていました。
人気絶好調のオズワルドだったのですが、そこからウォルト・ディズニーと配給元のユニバーサル・ピクチャーズがオズワルドの著作権を争って、裁判になってしまうのです。
オズワルドの生み出したのはウォルト・ディズニーに違いありませんが、ディズニー社はそのとき自分で売り込みをし、映画会社を通じて劇場に流してた為結局、ユニバーサル・ピクチャーズが勝利し、ウォルトが生んだオズワルドはユニバーサルに奪われてしまいます。
さらにユニバーサルは安定した資金力を使い、
ほとんどのディズニースタッフも引き抜いていきました。
残ったのはウォルト・ディズニー、オズワルドを描いたアブ・アイワークス、その助手の3人のみ。
こうしてディズニー・カンパニーは倒産ギリギリまで追い込まれます。
どうしても新しいキャラクターを生み出さなければならない状況に描かれたのが「ミッキー・マウス」でした!
ミッキーはもともとオズワルドの作品の中でサブキャラとして出演予定でしたが、オズワルドの利権問題もあり「蒸気船ウィリー」でデビューを飾り大ヒットとなりました!!
この一見以来ディズニー社の版権問題はかなり厳しくなったのです。
オズワルドの生みの親はウォルト・ディズニー
オズワルドの生みの親はウォルト・ディズニーですが描いたのはアブ・アイワークスというアニメーター。
実はこのアブ・アイワークス「ミッキー・マウス」も描いていたのです!!!
その後のオズワルド・ザ・ラッキー・ラビット
裁判に勝利したことにより、オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットを手に入れたユニバーサルですが、オズワルドの人気は徐々になくなりデザイン等を変更しますが、人気が戻ることはありませんでした。
1943年を最後にオズワルドは完全に消えたのです。
ウォルト・ディズニー・カンパニーに帰ったオズワルド・ザ・ラッキー・ラビット
2006年ウォルト・ディズニーの手から離れる事78年の歳月を経てオズワルドの著作権がウォルト・ディズニー・カンパニーに戻ってきました。
何故、ウォルト・ディズニー・カンパニーに戻ってきたかというと、アメリカの国民的スポーツアメリカンフットボールが関係していました。
当時のアメリカンフットボールの放送権はウォルト・ディズニー・カンパニーの傘下が持っていました。
ユニバーサル傘下のテレビ局が番組のアナウンサーを引き抜きたかったので提示してきた条件の一つにオズワルド・ザ・ラッキー・ラビットをウォルト・ディズニー・カンパニーに返還するものでした。
こうしてオズワルドは半世紀以上の時を経てウォルト・ディズニー・カンパニーのもとに帰ってきたのです!
ミッキーとオズワルドが映画で共演?
オズワルドが短編映画「ミッキーのミニー救出大作戦」に登場しています。出演時間はたった数秒ですが、オズワルドがディズニーに帰ってきて初の映画出演となりました!!
「ミッキーのミニー救出大作戦」はディズニー・ショートフィルム・コレクションやアナと雪の女王のDVDにも収録されています。
見逃した方や、オズワルドとミッキーの共演を是非見てください!!!
結論:オズワルド・ザ・ラッキー・ラビットが居てくれたから今のディズニーがある
いかがだったでしょうか!
冒頭でご紹介したオズワルドの歴史が、著作権の厳しい現在のディズニーを作るきっかけとなり、ディズニーの象徴ミッキー・マウスが誕生したのです。
オズワルドは悲しい歴史を乗り越えて、現在に至り世界の人々を幸せにしているのです。
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